2019/12/13
祇王寺を訪ねて
かねてより訪ねてみたかった祇王寺に行ってきました。 祇王寺は越後石山の家の造園を担当してくれた「ぶんぞう」の佐野文一郎さんにお勧めいただいたところです。今年の夏「そうだ、京都へ行こう。」のポスターにもなっています。
お寺のお庭だけに浄土を現しているとか、縮景しているといった、何かを現そうと人が強い意図を持って造った、凝った庭を想像していました。こうした庭はありがたいのだろうけれど、時に押し付けがましく、心和むという気にさせないなあと感じていました。
でも、祇王寺は何事によらず受容してくれるような、 なんともやさしく、かわいらしい庭でした。 もみじや竹といった、光を透かす葉を持つ木が主体で、その根元には30種類ものコケのじゅうたんが覆っています。 あ、尼寺なんだ、と思わせるやわらかさです。
創建の由来は、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が、その後清盛の心変わりのため、母と妹と都を追われて出家したことだそうです。為政者にありがちな身勝手さなのに、ご本尊の大日如来、祇王と並んで清盛像も祀ってありました。心が広い!
普請道楽は最終的には庭道楽になると言います。建築と庭は切っても切れないもの、互いを引き立たせるものとして大事な関係にあります。でも、設計側からすると何度もスケッチを重ね、設計図を引き、工事・完成する建築が、植物の精気の前では力及ばない気がして、なんとも情けない、かなわないなあ、と思わされるときがあります。 建築の先が「庭」なんでしょうかねえ。